2017年3月8日水曜日

「騎士団長殺し」読了、感想

 序盤は面白かった。
 文体は非常に村上春樹らしく軽快。内容も、冒頭の夫婦の別れのシーンは「ねじまき鳥クロニクル」などを思わせる。ただ、以前の作品より具体的に描写している印象。題名はファンタジーなのに、いつもよりファンタジーっぽさは薄い。(「ノルウェイの森」に比べるとファンタジー寄り、と書いている書評もあるようだが、本作の方がリアル寄りだと思う)
 だが、リアリティが高まったせいか、主人公に魅力がなく見える。離婚を妻から言い出されるのも当然というか……。いや、本当は主人公自体は変わっておらず、書き方が変わっただけなのかもしれない。以前の村上作品の主人公が魅力的に見えたのは、その文体や、曖昧にぼかした書き方のためで、具体的に描けば魅力はなかったのかも?

 一巻が終わっても悪くない、と評価。
 ただ、性的な話が物語から浮いている気はするが、それも村上春樹らしいと受け止めるべきか。なんか、こういう風に性的な描写をいれなければ物語を描けない病、というのは時代遅れにも感じるのだが。

 ただ、二巻、特に二巻の後半からはどうなのか。
 ファンタジー的な描写はあっても良いが、そこで盛り上がっているかというと微妙なところ。必然性があって入れているというよりは、それ以外書きようがなくて(作者が描き方を知らなくて)入れているようにも見える。
 神秘的な何かを「信じる」ことを強調する結末もどうなのか。「信じる」というより、状況に流されているだけのようにも見える。主人公が意志を持って信じているというよりは、流されるまま信じさせられているだけのような。
 話題になっている南京事件の件(たとえばこのニュース記事)にしても、主人公以外の登場人物に喋らせており、受け身の書き方だ。主人公がその件に何の意見を述べず判断を下さないというのを、単に村上春樹らしいと言ってしまっていいのだろうか。

 この物語では主人公が一貫して主体性を持たない。
 絵描きの主人公なのに、絵の完成は自分で決定しない。完成したかどうかは、絵が教えてくれるらしい。

「……未完成と完成とを隔てる一本のラインは、多くの場合目には映らないものだから。しかし描いている本人にはわかる。これ以上手はもう加えなくていい、と作品が声に出して語りかけてくるからだ。」(p218 太字は原文では傍点)

 いや、実際こう感じることもあるだろうし、この表現が間違っているとは思わないけど、実際には作者が判断しているのだ、と強調したい。こういう、「自分が作ったのではなく、作らされたのだ」みたいな物言いが恰好よかった時代もあっただろうけど、今書くのはちょっと言い訳じみていてみっともない。
 村上春樹が現在もこういう気持ちで小説を書いているとしたら情けないと思う。

 というわけで、作者がこの作品にある種のメッセージをもたせようと試みて書いたのだとしたら、説得力が薄く、まあ失敗していると思った。でもまあ、全体としてはこんなもの、まあまあかな、という感想です。

 

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