2016年5月5日木曜日

少子化とギャンブル

 子どもの日にちなんで、政治的なことでも。

 今の日本の少子化の一番の原因は見返りが少ないことだと私は思っています。精神的とか社会的な充足なだけを見るなら子供がいた方がいい。それは昔とそれほど変わっていないかと。私の身近にも子どもを欲しいという人はいっぱいいます。

 だから、問題は金銭的な部分でしょう。昔は、子どもというのは精神的な幸せのためだけではなく、金銭的な幸せのためのものでもあったと思う。子どもを育てるのにはお金も手間もかかるけど、成長し、働くようになれば自分たちへ返ってくることが期待できる。もちろん、うまくいかないこともあるけど、そんなに見込みの悪い投資ではなかった。期待値は1より上だったと思います。

 それが、今は、「働いても幸せになれない日本」に生きる若者なんて記事が出るくらいです。真面目に生きてきても、親に返すどころか自立することもままならない子どもがたくさんいる。逆に言えば、親は最後まで子どもの面倒を見なくちゃいけない……可能性がかなりあるわけです。
 つまり、子どもを作ることはかなりの博打になっている。いくら楽しみもあろうと、そんな博打を打つわけにはいかない。

 少しでも博打じゃなくすためには教育をしなくちゃいけないのですが……そうなると本当に莫大なお金がかかる。その上、子どもの向き不向き等もあり、教育にかけたお金が返ってくるとも限らない。教育が博打というのは昔も同じだったと思いますが、今は昔以上に博打要素が強い。日本の法律ではギャンブルは違法なのに、こんな身近な、生活に不可欠な部分でギャンブルをさせられるのでは救われない。



 そして上記のことは改善することが難しいと思います。政治にどうにかいしてもらうしかないだろうけど、どういう法律を作ればいいか私には分からない。

 私が思いつく範囲だと、少しでも少子化を改善したいなら、

「親の責任を減らす」

 というのが一番なのかな、と思っています。

 今は、子どもに対する親の監督責任がきつすぎると思う。子どもは親とは別の人間なんだし、親が全て監督をすることなんてできるわけがない。乳幼児ならともかく、少し育った後なら子ども自身の責任をもっと大きくするべきだと思います。まぁこれは、法律・判例がそうなっているわけで、個人でどうこうできるものではないですが。

 また、教育についてもそうです。日本の学歴主義はもはやあまり意味がなくなっていると思う。現在でも、学歴の高い人の方が就職などに有利というデータは出ていますが、それは「優秀な人の方が学歴が高い」せいじゃないでしょうか。逆に、優秀な人なら学歴なんてなくても上手く自分の人生を切り開いている。就職活動などで「同程度に優秀なら学歴の高い人の方が採用されやすい」ということは確かにあるかもしれませんが、強調されるほどには有利には働いていないと思います。

 学歴なんかより、子どもを優秀にさえすれば良いのです。
 だが、優秀にするためには学校は役に立っていない。学校で得られる知識等は今はインターネット上で簡単に手に入る。意欲ある人が効率よく勉強したいなら学校なんていかない方が良いでしょう。実際、本当に優秀な人は独学で勉強している時間が長いと思う。学校で学べるのは「社会性」くらいでしょう。もちろんこれは大事ですが、良い学校でも普通の学校でも同じように学べることですね。
 だから、子どもの学歴のために投資をするのは無駄が多いと思う。むしろ、子どもには学ぶことの楽しさとか意義、そして学び方を教えるべき。条件反射のように学校や塾から与えられたことをやらせていても考える力は伸びません(何もさせないよりはマシですが)。



 まあ、だからといって、子どもを作ることが(金銭的には)博打だということにかわりはないです。それでも実のない責任や負担を回避することができれば、親としても大分気が楽になるんじゃないでしょうか。今の日本は少子化が叫ばれているにも関わらず、「子どもを持ちたいと思わせなくするような社会的な枠組み」が少しずつ強固になっているように思います。でも、この枠組みを壊すこと、もしくは意味のないものなのだと気付くことが大事だと思います。

 いや、少子化の解消という意味じゃなくても、もっと気楽に子どもを作れていいと思うので。そういう風になるといいな。

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