2016年6月11日土曜日

「リュウの道」と「イズァローン伝説」

 石森章太郎の「リュウの道」を読んだ。
 石森章太郎は竹宮惠子が最も影響を受けたと公言している漫画家だ。しかし、二人の代表作「サイボーグ009」と「風と木の詩」を取り上げてもあまり共通点は見られない。これは選んだ作品が不味かったせいとも言えないだろう。人物の描き方や吹き出しの描き方などを見れば似ている点は散見されるが、これは時代的な理由も大きい。そこまで影響があったのだろうか? と思った人も多いのではないだろうか。

 だが今回、私ははじめて「リュウの道」を読み、これは確かに竹宮惠子のSF作品の下地になっていると感じた。浅薄な類似点から見るならば、地球や宇宙の描き方・使い方だ。竹宮惠子の「地球へ…」「イズァローン伝説」などに見られる地球の使い方は「リュウの道」とかなり似ていると思う。

 「リュウの道」という作品は、その時代性もあり、かなり大味な作品である。SFを切り口として、人類や宇宙全体の問題を語り、最終的に神話もしくは全体小説(全体漫画というべきか)のようになる……というのは、当時のSFではままある描き方だった。当時の作品を見ると、核戦争や環境問題を題材にしたものがたくさんある。この作品はあまり迂回路を行かず直截にその問題へ至っている。このような大きな問題を語るには過程を省きすぎているのではないかという気もするが、少年漫画らしく勢いがあって面白い。

 竹宮惠子はこのような全体小説のようなストーリーを描く作家ではない。むしろ、私的な物語を客観的に描くことを好む漫画家だ。「地球へ…」や「イズァローン伝説」は一種の神話を描いた作品ではあるが、人類へ問題提起するようなことはない。客観的に、一つの神話を描き切っている。

 このような違いはあるが、「リュウの道」と「イズァローン伝説」で描かれている神話はかなり似た質を持っていると思う。神話なんてどれも似るではないかといえばそれまでだが、これらの作品では人間の情を中心に据えているのだ。そんなの、手塚治虫だって光瀬龍だってそうじゃないか……と言われればそうかもしれない。だが、彼らほどSF的ではないのが特徴だと思う。SFというのは科学であり、論理を重視する文学だ。しかし、重要な部分でそれが緩む(矛盾するわけではない)のが良し悪しはともかく特徴かもしれない。
(ファンタジーである「イズァローン伝説」をSF作品と比較するのはおかしいと言われそうだが、「イズァローン伝説は」ハードなファンタジーであり、御都合主義で進むような話ではない。)

 そういえば、これは萩尾と竹宮を比較する上でもよく言われる点だった。竹宮惠子も「地球へ…」などのSF作品を描いているのに、SF界では萩尾ほど評価されていない。その理由の一つはこのあたりだろう。

 そして、結末。「リュウの道」と「イズァローン伝説」は似たような結末を迎える。どちらも、必然性のある結末とはいえず、二人の神話観がここに現れているようにも見えた。

 この二人の師弟関係をはじめて認識させられたような気がしたので、書き留めておきます。

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